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こおろ社
記憶の場所について
昨日私が言いたいことが思い出せた。

一国史の成立に向けて「記憶の場所」は働き掛けられるのか。
一国史の終焉に向けて「記憶の場所」は働き掛けられるのか。

さらに「イギリス」における「記憶の場所」はどう展開されているのか。


一国史とは単なる地域だったりエリアを指すのではない。主観であり主体である。主体はそのあり方を問われないで、その責任、過誤、行為を開陳していいのか。日本は、太平洋戦争における責任、過誤、行為を、その主体を問わないで、開陳していいのか、いけないのか。
しかし主体といっても観念ではない。明確な実態としての主体である。
その上で、これは論じなければならない。
明確な実態というのは、太平洋戦争時に例えば、国家予算はどれくらいあったか、国民総生産は、国民の一人当たりの所得はどれくらいあったか、その積み重ねで、太平洋戦争時の日本国の姿を形付け、具現化し、それから、なぜその戦争に踏み切ったか、なぜ海外派兵したか、なぜ国民を満州や朝鮮半島へ開拓という出稼ぎへさせたか、アメリカと交戦することになったか、をすべて問わなければならない。
それがなされなければ、自動的に記憶は近代以前にはさかのぼれない。
<< 参照先 2009/02/18 新しいコメントを追加する
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